私。から、私たち。へ。
タイトルのまんまです。
今週末はKirtanFes2018の主催があります。
全国からキールタンの歌い手さんを京都に呼びさせて頂くわけですが、この日に限らずフェスや祭り、集会はどんなジャンルにおいても必ずと言っていいほどあるんじゃないでしょうか。
それは、個人としての「私」。
「私」の活動やアイデンティティ。
これらが、更に大きな集会で多様性の中で混ざり合うと、更に大きな器ができあがります。
その器の中で、「私」という個人性はありつつも、それとは別に「私たち」への意識への広がり、感じ方の変化なんかが起こるんじゃないでしょうか。(キールタンフェスでもそのあたりを楽しんでもらいたいですね。)
そこにはきっと折り重なって共鳴し輝くものがあるから、人と人が、多種多様の表現が、混在し調和する集いはどの時代にもあり続け意味を持つんだと思います。
どんな小さなイベントでも集いですから、折り合いによる美しさがありますが、キールタンフェスの特徴は全員の合唱による大ウェーブ。
どんな多様的なウェーブが渦巻くのか今から楽しみです。
お声掛けさせてもらった演者さんも何年も付き合いがあり、お互いに表現の変化をくぐり続け、過去にはとらわれず、今、自分の表現すべきものを等身大で精一杯シェアしてくれることと思う。
喜びあい称えあう。
心から歌ってくれるでしょう。
心から受け止めてほしい。
そして、またそれを歌うことでリリースしてほしい。
そんな、ハートの循環が一日中起こっていると思う。
いよいよ明日(21日)だ。
「私」から「私たち」へ。
そもそも「私たち」という意識が基本で、oneとしての「私」意識を拡張していきたいものだ。
10月21日 キールタンフェス2018↓