神聖な楽器・在り方次第
2016年2月13日は学問や芸事の神様、サラスワティ女神へのプージャの日。
この日はインド中が先生のところへ伺って礼拝し日々の感謝を捧げたり、師とともにサラスワティへ芸事とともに祈りを捧げます。
インドでは楽器は神聖なもので、先生は「楽器は神様に等しく神聖」と話して下さいます。
もし、間違って楽器をまたいでしまったり雑に扱ってしまうと、注意を受けますし、お詫びの礼拝を丁寧に行ったりします。
時に楽器に対して祈りの儀式を執り行いますし、演奏や稽古の前も簡単な礼拝を捧げてから演奏する、いや、演奏させて頂く。という感じです。
僕たち外国人には最初はこのような感覚がありません。
しかし、先生やインド人の敬虔な態度を学ぼうとすると、有難いことにそれは自分にも少しづつ入ってきます。
それはやがて、少しづつ習慣となり、そういうものになってくるもののようです。
楽器だけの話ではなく、自己を通した自分から発生する世界観を生きる僕たちは、価値観の「在らしめかた」次第でどういう世界にも生きることができると思います。
楽器を神聖なものとして日々一緒に過ごせば、当然、日々、神聖な音と過ごすことになるでしょう。
世界を神聖なものとして在らしめれば、その人の世界と時間はいつどこでも神聖なもの。
もちろんその中に甘美だけでなく、厳しさも含まれているとして、在らしめる自分次第で世界はずいぶんと違った感覚を持つ。
先生や職人たちが目を閉じて、音に向き合う時、その人とその人の内なる神との対話を傍観させて頂くような感覚になる、ここインドは、本当に感動的な学びの体験があります。
Love & Bliss.
追記:文章は2015年2月12日のものです。